ほんとうの自分になる

芋虫は芋虫であることが当り前で、芋虫以外のものにはなれない
芋虫は芋虫であることが当り前で、芋虫以外のものにはなれない

・・・ほんとうの自分で毎日生きてますか?

・・・毎日、本当に自分がしたい事をしていますか?

 

アメリカへ行くたびに思うのは、アメリカでは「ほんとうの自分になるしかない」こと。

 

あちらでは、じぶんが心地よいと思うこと、自由で、快適でいられることを、一点集中で求めていく。

もちろん人に迷惑をかけないという鉄則はある。

 

アメリカにももちろん、年齢層や、社会地位、職業、家庭での役割、などで「こうあるべきだ」という考えがないわけではないけれど、日本ほどそれに縛られていないことが多い。

 

反対に、「ほんとうの自分」になるには、かなりの勇気がいる日本。

 

年齢や、自分の役割、仕事上、「こうあるべき自分」を演じることが、この社会では期待されており、そうしないと!と思っている人々には、ほんとうの自分とかけ離れた役を演じることはとても苦痛で、周りの目がどうしても気になってしまう。

 

小さいころから、周りの人々が自分をどう思うか、自分をどう見るか・・・だけの視点を与えられ、その視点だけで周りを気にして育った私達には、「ほんとうの自分になる」ことはもちろん、本当に自分が欲している自分になることができない状態。

 

自分の周りの「こうあるべき自分」普通の基準から外れてしまうことは、恐怖になるかもしれない。

 

言いたいことはもちろん、なりたい自分にもならずに、ひたすら期待される「こうあるべき自分」を演じ続ける。そりゃ、ストレスになるでしょう。

 

でも、周りのことを気にせずに本当の自分になることができるアメリカ。

 

特にNYC(マンハッタン)ではそれができる。周りは、それぞれ、「ほんとうの自分」に忠実に、自分らしくしっかり生きている人ばかりでとても刺激になる。いつ行っても、NYCでは、周りは何も私のことを「こうあるべき」と期待していないので、心地よいのはもちろん、本当の自分と正面から向き合い、一体自分はどうありたいのか?を再点検できるよい機会。

 

あらゆる人が今現在の見た目、状況、こうなったのは、彼らの今までの境遇、生活や態度が大いに関係していて、それは偶然ではなく、なるべくしてなり、起こるべきして起こり、今の彼らの現在の姿、生き様を形作っている。

 

「何にでも、そうなった理由は必ずある。」

「その人の過去の選択が、現在のその人を形作っている」

 

そして、今現在そうなった様々な理由も、状況もどれ一つとして、いい悪いはない。

 

その人のとっては、その全てが真実で、その人にとってはベストなのだから。

 

だから、違いを見つけたときに私達は、それが、いい悪いと判断やジャッジ(非難、批判)する前に、そのことを考えないといけない。

 

その人にとっては理由があってそんな行動をし、そういう態度になり、そういう風になったのだから。それ自体にいい悪いはない。

 

自分が理解し難いような生き様でも、正々堂々と自分を表現して、精一杯い自分らしく生きていることに拍手を送ってやろう。

 

全ての人によく思われよう、好かれようなんて、絶対無理。

 

誰に基準を置くか?

自分自身がなりたい自分になれているか?に基準を置くだけ。

 

 

誰にでもそれはできる。

ヨガをやっているとほんとうの自分が見えてくる。

 

ヨガをやりながら、呼吸に集中し、心のざわつきが少なくなれば、静かな心で自分の内側をのぞきこめる。そして、自分で自分に足枷をしてしまっていたことに気づける。

 

自分に質問してみよう。

自分はハッピーか?

自分は本当の自分になれているか?


ほんとうの自分になることを、妨害してしまっていることは何だろう?

それは、本当に実在する?

それとも自分でそう思い込んでいるだけ?

 

ほんとうの自分で毎日生きてる?

毎日、本当に自分がしたい事をしている?

 

全ての人が、自分らしく自由に生きられますように。

Lokah Samastah Sukhino Bhavantu